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2007/12/19 日記<富士スピードウェイ>
富士スピードウェイ
富士スピードウェイ(ふじスピードウェイ: Fuji International Speedway)は静岡県駿東郡小山町にあるサーキットである。略称は「FSW」。かつては運営会社の「富士スピードウェイ株式会社」の英文社名“Fuji International Speedway Co.,Ltd”にちなみ FISCO と表記されていたこともある。2000年よりトヨタ自動車の傘下に入る。
歴史
オープンまでのいきさつ
富士スピードウェイ株式会社の前身「日本ナスカー株式会社」は1963年に設立。その名の通り日本国内におけるNASCAR形式のレース開催を目的として設立され、翌1964年1月にはNASCARとの間で日本及び極東地域におけるNASCAR形式レースの独占開催権に関する契約を締結。同年6月にはサーキット候補地として静岡県駿東郡小山町大御神の150万坪の土地を選定し地権者らとの契約にこぎつける。しかし、その後本格的にサーキットの設計が始まると、地形の関係からNASCARレースの開催に必要なオーバルコースの建設が困難なことが判明したため、翌1965年にはNASCARとの間の開催権契約を白紙還元することで合意。改めてロードコースとしてサーキットを建設することとなり、社名を現在の「富士スピードウェイ株式会社」に改める。その後同年10月には三菱地所が同社に出資、実質的な経営権を握ることになる。
オープン
高度成長期真っ只中の1966年1月3日にオープン。1960年代には当時スポーツカーで争われた日本グランプリ (4輪)|日本グランプリが開催されるなど、船橋サーキット・筑波サーキットと並んで首都圏周辺におけるモータースポーツの中心的な場所となる。
30度バンク
富士スピードウェイの大きな特徴として、30度のカントがついたバンクコーナーがあった。これは前述の通り、元々同サーキットがオーバルコースとして計画されたことの名残と言われている。オーバルコースではコーナーでの減速を極力減らすため、コーナーにバンクを付けるのが普通である。当時、国内でこのような急角度の路面舗装を経験した業者はひとつも無く、依頼された日本鋪道(現・NIPPOコーポレーション)は、ロードローラーをバンクの上からワイヤーで引っ張るという方法できり抜けた。しかし、もともと経験不足を起因とする勾配の設計が良くない上に、後に「馬の背」と呼ばれることになるこぶ状のうねりもある。オートレースの世界から転進した田中健二郎曰く、「完成当初にコース管理者に『基礎に杭を打ち込んだか?』と尋ねたら、『打ち込んでない』と言われ『こりゃ駄目だ』と思った」そうである。そのため、オープン当初から重大事故が多発し、1974年の富士グランドチャンピオンレース|富士グランドチャンピオンシリーズ(富士GC)第2戦中に起きた風戸裕・鈴木誠一 (レーサー)|鈴木誠一両選手が死亡する大事故を契機に使用が中止された。ただし、バンクが起因となった死亡事故は、1973年の富士グランドチャンピオンレース|富士GC最終戦の中野雅晴死亡事故までは、開業年に発生した永井賢一死亡事故だけである。この死亡事故も、二重に設置される筈のガードレールが一枚しかなかった設置ミスと、ステアリングミスが重なった不幸な事故だった。旧コース時代の末期にイベントの一環として、体験走行会が何度か行われている。現在は一部の路面がモニュメントとして遺されたメモリアルパークとなっている。
F1開催と中断
1976年と1977年にはフォーミュラ1|F1世界選手権の日本ラウンドが開催された。1976年は『F1世界選手権・イン・ジャパン』という名称で開催された。詳細は日本グランプリ_(4輪)参照。1977年のF1日本グランプリではロニー・ピーターソン(ティレル)とジル・ヴィルヌーヴ(スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ)が第1コーナーでクラッシュ。このクラッシュで宙を舞ったヴィルヌーヴのマシンが激突し、立ち入り禁止区域にいた観客2名が死亡する事故が起きた。この事故の衝撃や、当時暴走族の傍若無人なふるまいが大きな話題となっていたことなどがあり、「モータースポーツは危険」という認識が広がってしまった。以来富士でのF1グランプリは開催されなくなり、1987年より鈴鹿サーキット|鈴鹿で開催されるようになるまでF1グランプリの日本での開催は中断することとなった。
廃止の危機
1979年に御殿場市の青年会議所が富士スピードウェイの廃止を陳情したことがきっかけとなり、1980年代前半にはサーキットの廃止とゴルフ場などを中心にしたレジャーランドへの転用が、経営権を持ち大半の土地を所有する三菱地所によって検討された。この陳情の背景には、当時の富士スピードウェイの屋台骨を支えていた富士グランドチャンピオンレースの観戦を目的とした暴走族が、サーキット周辺で集会や暴走行為などを繰り返すことにより周辺環境が悪化するという問題があった。また当時の世間におけるモータースポーツの認知度の低さから、「モータースポーツ自体、暴走行為を助長するものであり好ましいものではない」との意見も一部には見られた。しかしながら一方で、当時建設業に携わっていた者が陳情の中心にあったという説もあり、争議の後半においては陳情側がトーンダウンした状況が見られた。これに対し1980年には、モータースポーツ界を代表する形で「日本モータースポーツ振興会」が設立され廃止反対運動を開始。1985年には「FISCO廃止問題連絡協議会」と改名し、サーキット廃止に反対する地権者達で構成される「富士スピードウェイ協力会」とタッグを組む形で反対運動を展開した。1986年には三菱地所がスピードウェイのある小山町長に対し調停を申し立てたが、同年7月30日に「この件は白紙に戻す」という町長裁定が下り、正式にサーキットの存続が決定した。
バブル景気到来
その後日本経済はバブル景気に突入、同時に中嶋悟のF1参戦とホンダのF1での活躍による、未曾有のモータースポーツブームが訪れた。富士スピードウェイも1989年に富士グランドチャンピオンレースが廃止されたものの、スポーツカー世界選手権|世界耐久選手権(WEC)日本ラウンドの開催や全日本フォーミュラ3000|F3000選手権、インターTEC等の開催で再び賑わいを見せることになる。その後1990年代中盤にはピット・パドックエリアが改修され近代的な設備が整った。
リニューアル・オープン 2000年にトヨタ自動車が三菱地所から同社を買収し、2003年の9月から営業を停止して改修工事を始め、そして2005年4月10日にリニューアルオープンをした。新コースはセパンサーキット(マレーシア)や上海インターナショナルサーキット(中華人民共和国)など、1990年代後半から2000年代にかけて新規にF1を開催しているサーキットのほとんどでそのデザインを担当しているヘルマン・ティルケの手によるものである。旧コースの特徴の一つだった約1.5kmの直線は残されつつ、コースが現代的に改良された。大きな変更点としては、旧コースでは最終コーナーから直線にスムーズにつながっていた部分が、新コースでは入り組むような形に直されており、難易度が増している。また、ランオフエリアはほとんどが舗装され、安全性が向上した上、コース脇には緊急車両用の通路が設けられた。これらの改修により同サーキットはF1開催に必要な資格のグレード1を取得した。メインスタンド、レストラン、駐車場、トイレなど観客が利用する施設の質的向上も旧来に比べ著しい。しかし、時間走行権や占有使用料などをはじめとする料金の設定が、割高だという声も多い。敷地内にトヨタの交通安全センター「モビリタ」も設立。本コースの他にドリフト走行|ドリフトコース、ジムカーナコース、ショートサーキット、カートコースを建設。レクサス販売のための研修施設であるレクサスカレッジを設立。
F1GP再開催
また1987年以降鈴鹿サーキットで行われていた日本グランプリ (4輪)#F1日本グランプリ|F1日本GPの契約が2006年シーズンまでだったことから、富士スピードウェイは2007年以降の日本GP誘致に乗り出し、FOA(フォーミュラ・ワン・アドミニストレーション)との交渉の末、2007年のF1日本GPの富士開催が決定した。2006年10月1日には、トヨタ自動車の岡本副社長が時事通信社の取材に対し、国際自動車連盟(FIA)との契約期間が5年間であることを明らかにした。しかし2007年9月30日には、富士スピードウェイの加藤裕明社長が「岡本副社長が勘違いしていた。契約の年限は決まっていない」と訂正、富士スピードウェイでのF1開催権に期限が設けられていないことを明らかにした。これに対し鈴鹿サーキット側も2008年以降のF1開催を目指していたが、2007年9月8日にFIAは、2008年は富士で開催、2009年以降は鈴鹿と富士が隔年で交互に開催を行うことを発表している
2008年以降のF1日本グランプリの開催について 。
特徴
立地
富士スピードウェイは山上に位置しており、気圧が低く天候が不安定なサーキットとしても知られている。夕方になると気温が急激に下がる傾向があり、観戦にあたっては夏期を除いて防寒策が必須である。また、気圧の関係でターボチャージャー|ターボ車有利となるため、一時期のSUPER GTでは自然吸気車にハンデが与えられたこともあった。雨が降りやすいだけでなく集中豪雨的に降る上に霧が発生しやすい立地だが、現代のモータースポーツではレーサーの安全確保のためにメディカルヘリが必須とされており、そのヘリが雨天や霧の発生により飛行が危険と判断されることも多い。このような理由から、富士はサーキットとして決して適正が高いとは言い切れない。富士における9月の降雨率は60%以上とされ、鈴鹿サーキットでは開業以来台風以外に雨天中止のレースが無いのに対し、富士スピードウェイで開催されたレースは、雨天や霧によるレース中止もしくは危険にもかかわらず強行されたり、大幅にスタートが遅れたり等という事が、1976年開催の日本グランプリ (4輪)|F1世界選手権・イン・ジャパン、1985年開催の世界耐久選手権、
1998年5月開催の全日本GT選手権 (太田哲也の項も参照)、
2006年開催のフォーミュラニッポン 等、ままあった。
渋滞問題
日本国内の多くのサーキットは人里離れた場所に立地している。そのため入退場時の交通量対策が慢性的な問題となっており、観客の大部分が自動車で来場するため大きなレースイベントを開催する際は、必ず渋滞が引き起こされる。これは富士スピードウェイも例外ではなく、富士への来客も基本的に自動車で入場し敷地内の駐車場に駐車するようになっている。富士の場合、自動車以外でアクセスする場合は御殿場駅からのバスがよく使われるが、御殿場駅自体がサーキットから離れている上、運行本数が少ない。大きなレースの際は御殿場からの臨時バスが増発され、他駅からもシャトルバスが運転される場合が多い。とはいえ、元々近傍にある東名高速道路は非常に交通量が多い上、休日ともなると御殿場プレミアム・アウトレットに向かう買物客がこれに加わることから、富士でのSUPER GT開催時などは御殿場インターチェンジやぐみ沢交差点付近での渋滞が常態化している。長期的には第二東名高速道路の開通により交通事情が改善することが期待されているが、第二東名の開通は早くても2012年頃の予定であり、短期的には渋滞の劇的な解消は見込み薄という状況にある。
2007年F1日本グランプリ
今まで開催されていた鈴鹿サーキットと比べて最新設備・バリアフリーの強化といったメリット以上に、雨天に対する対応・渋滞・観客に対するホスピタリティの質の低さ等、非常に多くの問題点が目立つグランプリとなってしまった。その大きな要因として、30年振りの開催とはいえ、当時とは規模も組織も違う状況下、実質的な初開催となる運営サイドの不慣れさや見通しの甘さがあげられる。これらの問題について、FSW被害者の会
FSW被害者の会 が設立されている。
雨天に対する対応
ヘリが飛ばないような状況でもレースを強行するという危険な判断が横行している。当日も、天候は視界30m以下の雨。各ドライバーは「レースできる状況ではない」と認識していたが、セーフティーカー先導でレースが開始された。このとき使用されたメディカルヘリは計器飛行ができないタイプのヘリで、視界30m以下の状況では安全飛行は到底不可能だった。
当日のドライバーコメント
ルーベンス・バリチェロ:「雨と霧の影響で視界はゼロだった。率直に言えば、レースはもっと早いうちに中止されるべきじゃなかったろうか。コンディションは相当悪く、レース中ずっと、何も見えない状態だった。」
ニック・ハイドフェルド:「僕の意見だけど、こういう天候では、レースをするべきではなかったと思う。」
ジェンソン・バトン:「路面状況や視界が非常に悪く、大変危険だと感じたし、タイヤの性能を落とさないよう、(タイヤの)温度を維持するのが本当に難しかった。」
ニコ・ロズベルグ:「レースを絶対にスタートさせるべきではないと思うし、“今までで最悪のレース”。」
アレクサンダー・ヴルツ:「目を閉じて、ハイスピードで家の前を走りすぎるようだ。どんな感じか分かってもらえるかな。」
ロバート・クビサ:「レーススタートはとても危険な状況だった。ちょっと始めるのが早すぎたんじゃないかと思うし、走っていてイライラしたよ。」
佐藤琢磨:「前がまったく見えない中、俺こんなんで良くアクセル踏めるなぁーって思いましたね。本当に恐かった。」
この件と非常に酷似したケースで、1998年5月3日に開催された全日本GT選手権第2戦が挙げられる。雨と霧の中レースを強行したためフォーメーションラップにて隊列が整わず、ペースカーランが継続されたが後方車両は視界不良によりレース開始と誤認、数台を巻き込む多重事故が発生した。その中、衝突を回避しエスケープゾーンに避難した太田哲也のフェラーリ・F355が、クラッシュによりエスケープゾーンに停止していた砂子塾長|砂子智彦のポルシェ・911に激突。太田の乗るF355が爆発炎上し、重度の大火傷を負い、砂子も重症を負った事故がある。なお、この事故で最初に救助を行ったのはRE雨宮RX-7の山路慎一であり、コースマーシャルは救助活動はおろか、機材車に積んであった消火器すら出さず、無線交信のみ行っていた事が問題となった。この様に、一歩間違えれば大惨事になり兼ねないが、この際の教訓が全く生かされていない。
観客送迎問題
渋滞対策のため、会場へのアクセスはシャトルバスに限定され、自家用車に加え、徒歩での来場も禁止された。1994年と1995年に岡山国際サーキット|TIサーキット英田にて開催されたパシフィックグランプリ (4輪) |F1パシフィックGPにて採られた形式と同様、観戦チケットと来場時の最終アクセスをセットで販売した。観客は、発着地として指定された駐車場や駅まで自家用車や公共交通機関で到着した後、富士スピードウェイまではシャトルバスで往復させる、チケット&ライド方式を採用した。
しかし、チケット&ライド方式を採用したにもかかわらず29日の時点では、渋滞によって富士スピードウェイ行きの迎えのバスが一部来ない・予選に間に合わないといった問題が発生した
AUTOSPORT緊急企画 2007年F1グランプリ 観客からの 価]F1日本GP2007 価アンケート 調査報告書・次回開催に向けての提言] アンケート集計結果より。さらに、29日の予選終了前には、会場と場外駐車場などを結ぶ道路が約50メートル間隔で3カ所、路面に最大直径約1メートルの穴が開くという事態に陥り、東ゲートを利用する一部のシャトルバスが通行不能になるといったトラブルが発生した。片道1車線の道路だったということも手伝って、雨の中バス乗り場で足止めさせられた観客は2万人にも及ぶと発表された。中にはバスを降り禁じられていた徒歩手段で目的地まで移動を始める観客もいた
デイリースポーツonline - F1観戦客2万人足止め 。上記の問題に加え、問題が発生しているシャトル乗り場に権限を持った責任者がおらず、道路が陥没しバスの運行が不能になっていることや、特定のバスに大幅な遅れが発生していること、交通整理担当者がシャトルバスの発車を全面的に停めて数十分に亘りVIP用車両を通行させていた等の問題を、本部が認識するのに何時間も時間が掛かったことも一因と考えられる。道路の陥没は大混乱になる6時間前の午前中に発生していたが、本部は乗り場の混乱は認識していなかった
。予選や決勝では一日で10万〜15万人もの観客が訪れるが、観客を大型バスのみで輸送しようとした上、VIP車両を優先して通すレーンを作りツアーバスの通行を優先したため、一般客を輸送する大型バスは片側1車線の狭い道路に集中した。また、交通渋滞を緩和するため観客のアクセスは会場から離れた駐車場や駅に限定されていたためレース会場から歩いて帰る事もできなかった。レース会場は夕刻にロックアウト、観客はレース会場外に出され、観客は9月末の寒さで雨が降る中、泥まみれのバス駐車場で、座って休むこともトイレに行くこともできずに、長時間待たされる事となった。さらに「終バスが9時半と案内されてるのにもかかわらず、9時15分の段階で送迎バスの終了宣言が出される」といった不手際も目立った。決勝日14万人(公式発表)の内訳は、シャトルバス利用者10万・ツアーバス4万とされており、アンケート結果から導き出される計算結果から3時間以上待たされた人間が、土曜日で4万人以上、日曜日で5万人以上
いると推測できる点から、公式発表の被害者数2万人
は過少である。主催者は決勝日の徒歩退場を許可したが、それは全員に徹底されず、またたとえ雨中を徒歩で退場しても帰路の交通機関の選択肢はきわめて限られており、シャトルバス利用者でこの混雑に巻き込まれずに帰宅することのできた人は例外的な少数だった。
設備問題
施設設備はバリアフリーの改善など鈴鹿サーキットと比べて大きな前進も見られた一方、経験不足から来る客の動線の見極め不足や絶対数そのものの不足が見られた。F1というイベントの規模の大きさを過去に認識したことがないに等しい状況だったとはいえ、大きな問題となってしまった。また、メリットだったバリアフリーも観客人数の多さからうまく活用できなかった場合もあった。
必要施設の不足
今回の日本GPを開催するにあたって問題の一つとなったのが仮設トイレの絶対数の不足だった。多くのトイレでは長蛇の列となり場所によってはやむを得ず付近の草むらで処理をするといったことも見られた。また、雨天がある程度想定される中、女性子供といったいわゆる弱者の人のためのテントも用意されていなかった点も上記の観客送迎問題とあわせて問題となった。
仮設スタンド問題
指定席の一つ・C席は、いわゆる“第1コーナーのつっこみ”が観戦できる、FSWでも最大の見どころと言えるスタンドである。ホームストレートを最高速で走ってきたマシンがフルブレーキングして第1コーナーをクリアしていく絶好の観戦ポイントで、数少ないFSWでのマシンの抜きどころとも言われ、人気ポイントのひとつだった。2007年日本GPでは、指定席料金6万1,000円のこのC席のうち、今回のF1開催のために増設された仮設スタンドの傾斜角が小さかったために、アウトコースからインコースに切れ込みながら曲がっていくライン取りのマシンが見えないという設計上の問題が発覚し、後日この席の指定席料金の一部払い戻しが行われた
F1日本グランプリC席仮設スタンドご購入の皆様へ 。払い戻し額は1枚あたり5万円、総額は3億5,000万円ともいわれる
[スポーツニッポン・2007年10月1日号]。このC席のチケットの返金問題については、ツーリストを通して購入した者には比較的速やかに返金されたが、ブリヂストンなどのスポンサー経由で購入した者に対しては事後対応が後手に回った。主催者側はスポンサー経由で購入した客に対し、有料の問い合わせ電話をさせ(後、フリーダイヤルにした)、80円切手を貼った返信用封筒と書類を送りつけただけで、「5万円の価値あるものを普通郵便で処理しようという感覚自体が問題」との反感を買った。最終的には、2ヶ月以上を経過しても何の連絡もなく、ようやく「ブリヂストン経由で返金するので、そちらに連絡してほしい」と放り投げた。
道路・駐車場の不備
29日の予選終了前には天候や過大な輸送量による加重が原因となって、会場と場外駐車場などを結ぶ道路が3カ所、最大直径約3メートルの穴が開くという事態が発生した。陥没の発生した3カ所はいずれも表層が約4〜5cmのアスファルト、その下に15cmの砕石が敷かれた簡易舗装の部分で、リニューアル以前のショートサーキットを建設する際に工事車両が使用していた道路であり、日本GPのアクセス道路用に特別に補強を講じたものではなかった
トーチュウ F1 EXPRESS 富士GP成功を願って より。
また、日曜日には予定していた降車場所が雨によって泥沼と化し使用できなくなった。雨がちな富士スピードウェイの天候事情を鑑みれば、このような事態を想定していなかったのも一つの不備といえ、また、実質的に初年度ゆえのミスとも言えるだろう。
応援フラッグ・横断幕掲示問題
2007年日本GPでは、ドライバーやチームの応援フラッグの掲示を禁止した。この禁止はチケット販売時には通告されず、鈴鹿同様にフラッグを持っていった多くのファンにとっては寝耳に水だった。この禁止事項に対し、各チームはレース会場などで許される範囲内の小さな小旗を配るなどで対応した。さらに一般客に対してチームの応援フラッグの掲示を「規則だから」との理由で全面禁止にしたにも関わらず、トヨタF1|トヨタチームの横断幕・フラッグとスタンド席で主催者フジテレビの番組の関係でスーパーアグリの大フラッグのみ掲示をさせた。これには観客はもちろんのこと、F1解説者の今宮純など評論家からも「ファンを大切にしないスポーツイベントはどういうことになるか」等の批判が出されている
[『GRAND PRIX SPECIAL』(ソニー・マガジンズ)2007年11月号・p.32,p.75など]。また、近年のF1シミュレーションゲームでは、報道写真などを基に看板や観客席配置の完全再現、もしくは再現度が低ければ有志によるパッチ提供が当然という風潮のため、ゲーム上の2007年日本GPがどのように再現されるか注目を集めている。
2008年F1日本グランプリ概要発表 富士スピードウェイは2008年2月20日、2008年F1日本グランプリの概要を発表した
2008年F1日本グランプリサイト 。2008年10月10日から3日間行われる日本グランプリでは、設計ミスでコースの一部が見られなかった第1コーナー仮設スタンドは、改修され視界の改善が図られた。またシャトルバスの運行に関しては、会場内や周辺に待機させておく「留め置き方式」に変更となり、2年目の改善に期待が持たれる。
最大のポイントは、開催日が10月10日 - 12日と行楽シーズンの三連休10月11日 - 13日とが重なるため、昨年と違い翌日が仕事という時間的な焦りが多くの観客に無いことであろう。F1だけではなく周辺の観光全体のプラスとなる可能性が高く期待が持てると言う意見と、秋の行楽シーズンと重なりシャトルバスの確保が困難を極めるであろうとの相反する意見もある。実際、旅行業界では10月〜11月の土日の貸切バスの台数が不足する事は毎年の様に起きている事である。
2008年富士の日本GP、今年は改善します…開催概要発表 。
コースレコード
旧コース
1987年9月〜2003年
新コース
交通アクセス
F1日本グランプリ開催時は、通常時の交通体系とは異なる輸送計画が立てられている。詳細は
F1 日本GPの公式ホームページ を参照のこと。
自動車
東名高速道路:御殿場インターチェンジ|御殿場IC
東富士五湖道路:須走インターチェンジ|須走IC
国道138号、国道246号 鉄道
御殿場線:御殿場駅、駿河小山駅(バスまたはタクシー乗り換え)
東海道新幹線:三島駅(東海道本線乗り換え後沼津駅で御殿場線乗り換え)
小田急小田原線:新松田駅(御殿場線または臨時バス乗り換え)
富士急行線:富士吉田駅(御殿場駅行きバス乗り換え) 空港
東京国際空港|羽田空港(リムジンバスで東名高速道路御殿場インターチェンジ下車後タクシー乗り換え)
成田国際空港(リムジンバスで御殿場駅下車後バスまたはタクシー乗り換え)
中部国際空港(名鉄空港線で名鉄名古屋駅下車後東海道新幹線に乗り換え)周辺施設
冨士霊園 霊園入り口から西ゲートまで徒歩10分程度。冬季以外はJR御殿場線駿河小山駅から富士霊園行きの路線バスが運転され、東京方面から富士スピードウェイへの公共交通機関での最短ルートとなる。ただし、富士霊園側にある西ゲートは閉まっている場合もあり、事前に確認が必要。 宿泊施設
地元の小山町及び御殿場市は、元々避暑地や富士山登山の拠点のため、登山客や避暑客相手の宿泊施設があるが、これだけだとF1等の大規模レースの観戦客相手には宿泊施設が不足することが予想される。しかし、周辺には富士五湖・伊豆・箱根と言った日本有数の観光宿泊施設の集積地があり、主催者側では宿泊施設の数量は十分確保できると考えている【富士スピードウェイ日本GP】「宿泊施設の混雑状況は把握していない」…その理由は(オートギャラリーネット2006年11月9日) 。脚注
関連項目
モータースポーツ
富士1000km
富士500マイル
富士グランドチャンピオンレース
WEC-JAPAN
インターTEC
全日本GT選手権
SUPER GT
フォーミュラ・ニッポン
FJ1600
フォーミュラ1|F1 日本グランプリ (4輪)|日本グランプリ
2007年日本グランプリ (4輪)|2007年日本グランプリ
鈴鹿サーキット
ツインリンクもてぎ
トヨタ自動車
レクサス レクサス・IS F - 「IS・F」の「F」はこの富士スピードウェイを指すとされている。
007は二度死ぬ
エンジン (テレビドラマ)
ポールポジション (ゲーム)|ポールポジション(ナムコ) 1982年当時の旧コースが収録されている。
グランツーリスモ4 新、旧コースが収録されている。外部リンク * FSW.TV(富士スピードウェイ オフィシャルサイト) - ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド推奨
モビリタ
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