東京都立駒場高等学校、東京大学法学部卒業。1990年代前期に始まった日本の”構造不況”もいよいよ10年ものか、と悲観的な経済観測が支配的であった1998年(平成10年)、トヨタはやや異彩を放っていた。経済評論界では”トヨタ銀行”という渾名が流行していた。それは長引く不況により有利子負債の累積した企業、経営破綻(倒産)した企業の名が新聞経済面やテレビニュースに名を連ね、日本の銀行の自己資本比率の低さが問題視されていた中、トヨタは堅調な資金力を保持し続けていたからであった。その余力を背景として当時のトヨタでは奥田碩社長(現:相談役)の強力な指導力の発揮により”改善”(業務を改善すること)の徹底強化が推進されていた。そのさなかに奥田よりバトンタッチを受け社長に就任したのが、米国ケンタッキー工場の稼動開始などを担当し、国際戦略に強みを持つとされる張であった。しかしながら、2005年(平成17年)まで7年間の張の在任期間中トヨタの名が世界市場の注目を集めることは少なかった。むしろ目立ったのは国内市場における新たな地歩であった。中でも圧巻だったのは従来の車種を次々と廃止し、多くの新車種を発表したことである。トヨタ・ターセル|ターセル/トヨタ・コルサ|コルサ/トヨタ・カローラII|カローラII、トヨタ・スプリンター|スプリンター、トヨタ・コロナ|コロナ、トヨタ・カリーナ|カリーナ、トヨタ・ビスタ|ビスタ、トヨタ・スターレット|スターレット、トヨタ・マークII|マークII・・・といったかつてのトヨタを代表する車種が引退し、代わって登場したのがトヨタ・アリオン|アリオン、トヨタ・シエンタ|シエンタ、トヨタ・ヴィッツ|ヴィッツ、トヨタ・ist|ist、トヨタ・パッソ|パッソ(先代・トヨタ・デュエット|デュエット)、トヨタ・アイシス|アイシス(先代・トヨタ・ガイア|ガイア)、トヨタ・マークX|マークX、トヨタ・ポルテ|ポルテ・・・といった斬新な車種である。とりわけ1999年(平成11年)発表されたトヨタ初の本格派コンパクトカーである”ヴィッツ”はデビュー早々にして日本を代表するベストセラーとなった。また、10代目マークIIとしての意味も併せ持って2004年(平成16年)登場したFRセダン”マークX”はトヨタ自動車東京進出の所縁の地品川で大々的な発表会を催しての衝撃的デビュー。張社長在任中最後の年度決算となる2004年度決算では2000年(平成12年)の日産自動車(カルロス・ゴーン社長)に続いて同社史上最高利益を記録。後任の社長は、原価低減の推進役を務めた渡辺捷昭。在任中準備に進められていたレクサス店|レクサス店の日本進出も同年8月に果たした。2001年には、自動車殿堂(米国)による「最も優れた業界リーダー(Industry Leader of the Year)」に選出されている。現在、デンソー監査役を勤める。