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2008/02/10 日記<トヨタF1>
トヨタF1
トヨタF1 (TOYOTA F1) は、2002年からフォーミュラ1|F1に参戦しているトヨタ自動車によるF1レーシングコンストラクター。正式名称はパナソニック・トヨタ・レーシング (Panasonic TOYOTA Racing) 。
概要
トヨタがそれまでに参戦していたカテゴリである世界ラリー選手権|WRCの拠点となっていた、ドイツのケルンにあるトヨタ・チーム・ヨーロッパ|TTE(Toyota Team Europe)をベースにした形で2000年に発足したチーム。現在ケルンの施設はTMG(Toyota Motorsport GmbH)としてチームの拠点となっているが、チームの国籍登録は日本となっている。日本における研究開発|R&Dの拠点はトヨタ自動車の東富士研究所である。他に、フランスのマルセイユ近郊のル=キャステレにあるシルキュイ・ポール・リカール|ポール・リカール・サーキットをテストコースとして使用している。自作のシャシーでF1に参戦する日本国籍のコンストラクターとしては、60年代のホンダ、70年代のマキ、コジマに続いてトヨタが4チーム目である。また、トヨタは新規参入するために4800万ドル(約57億円)という巨額の供託金をFIAに納めて参入した初のチームでもある。
歴史
F1参戦以前
TTEはトヨタ自動車のヨーロッパにおけるモータースポーツチームとして1975年から1999年まで世界ラリー選手権に参戦し、1990年・1992年・1993年・1994年にドライバーズのタイトルを、1993年・1994年・1999年にはマニファクチャラーズのタイトルを獲得した。また、1998年・1999年にはル・マン24時間レースにも参戦し、1999年に2位入賞した。
こうした活動のため、トヨタ自動車はF1参戦の必要性を認めず、1991年に関連会社のトムスがアラン・プロスト、ジョン・バーナードらと共にF1参戦を試みた際にもエンジン供給を断っている(詳しくはプロスト・グランプリを参照)。
こうした従来のモータースポーツ活動で、トヨタのヨーロッパにおける販売市場占有率|シェアは上昇したが、更なるシェア拡大のためには十分ではないと言う結論に達することとなった。 そこで1999年にトヨタは、欧州市場におけるシェア拡大と若者に対するアピールを目的として、新たにF1世界選手権に参戦することを発表した。従来F1界では新規参入メーカーの場合、有力なコンストラクターと組むか、買収することが勝つための常識とされていたが、トヨタはエンジンから車体設計まで全て自社製で参戦することを選択した。2000年、ヤマハ発動機と資本提携および高回転エンジン開発に関する技術提携を行い、ル・マン24時間で好成績を収めたトヨタ・GT-One TS020|TS020をテストカーとしてTMGとポール・リカールでの研究開発が始められた。当初は2001年より参戦を開始する予定だったが、F1のエンジンレギュレーション変更などの関係で準備が遅れ、結局2002年より参戦を開始。ドライバーはアラン・マクニッシュとミカ・サロが起用されたが、マクニッシュは1999年ル・マン24時間にトヨタチームで参戦したドライバーであり、また、サロは日本語でのコミュニケーション能力があるなど、このドライバー・ラインナップはマシン開発を重視したものであった。
2001年
2001年、TS020を手がけたアンドレ・デ・コルタンツ設計によるTF101を使い、ポール・リカールを中心にテストを行っていた。
しかし、デ・コルタンツ自身が最近のF1の設計に関わっていないために車のデザインが古く奇抜であったため彼を解雇し、2001年の5月に本格参戦用のマシン開発の責任者として幾多のチームを渡り歩いたグスタフ・ブルナーをミナルディから雇い入れた。このブルナーの突然の移籍は当時、驚きをもって迎えられた。彼はミナルディ在籍時にいくつものチームから誘いを受けていたが、「全体を見回しやすい小規模なチームでの仕事が好ましい」としてそれらの申し出を断り続けていた。そのため、彼がずっとミナルディで仕事をし続けると思われており、特に当時ミナルディの新オーナーとなったポール・ストッダートは、「金の力でブルナーを釣り上げていった」とトヨタに対して怒りを隠さなかった。
2002年
TF 102
参戦初年度、開幕戦オーストラリア・グランプリ|オーストラリアGPで6位入賞を果たし、最初の目標をクリアした。その後もブラジルグランプリ|ブラジルGPで6位入賞したがその後ポイントを上げることが出来ず、結局この2回の入賞に終わった。途中リタイアも多く、下位チームの一つであったミナルディよりも総合成績で負ける等、F1の世界の厳しさを味わう1年となった。コンストラクターズランキングは10位。
2003年 ドライバーを、オリビエ・パニスとクリスチアーノ・ダ・マッタと一新した。シーズン開始直後に、トヨタF1チーム社員によるのフェラーリへのスパイ疑惑事件が発生した。これは2003年のトヨタのマシン「TF103」が、前年のフェラーリのマシン「F2002」に酷似した部分があるとして問題になったもので、これら元従業員は疑惑が持ち上がった際直ちにトヨタを解雇され、2005年11月には起訴された(現在、第一審有罪判決・控訴中)。容疑者はトヨタのコンピュータから収集された証拠を突きつけられたために罪を認めたと言われているが、トヨタ側は、その後の開発は実質上トヨタが行っておりこれをフェラーリに与えることは彼らに大きなアドバンテージを与えるとして、フェラーリにソフトウェアを返却することを拒否している
[[http://www.grandprix.com/ns/ns15912.html]]。コンストラクターズランキングは8位。
2004年
のTF104。ドライバーはパニス2003年12月にマイク・ガスコインがテクニカルディレクター加わり、2004年型車両の開発に携わった。しかしながら、本来数ヶ月を要するF1カーの開発をシーズン直前のわずかな期間で行うのはそもそも無理があり、2004年シーズンの結果はあまり芳しいものではなかった。
シーズン途中のドイツグランプリ|ドイツGP終了後にダ・マッタは解雇され、そのシートには中国グランプリ|中国GPまでリカルド・ゾンタが、日本グランプリ (4輪)|日本GP以降はルノーF1|ルノーから移籍したヤルノ・トゥルーリがドライブした。また、オリビエ・パニスが最終戦ブラジルグランプリ|ブラジルGPを待たず日本GPで引退したためリカルド・ゾンタがブラジルGPをドライブした。コンストラクターズランキングは8位。
2005年
新たにラルフ・シューマッハがチームに加わり、去年末から引き続きのトゥルーリという組み合わせとなった。また、昨年から参加したガスコインがマシン設計に本格的に参加し、トヨタチームの潤沢なリソースを効果的に活かしたことで、同チームにとってはそれまでで最も良いシーズンとなった。第2戦マレーシアグランプリ|マレーシアGPでトゥルーリがチーム史上初の表彰台(2位)を獲得すると、その後もラルフと2人でポールポジション2回、表彰台計5回をはじめとしてコンスタントにポイントを獲得し、コンストラクターズランキング4位の成績を収め、大健闘といえる結果になった。この年からジョーダン・グランプリ|ジョーダン(2006年はジョーダンを買収したMF1レーシング)へのエンジン供給も行った。
2006年
1F(2006年)に展示
2006年は、昨年の結果から好成績が期待された。しかし、チーム首脳部との対立からテクニカルディレクターのマイク・ガスコインはシーズン開始直後には既に閑職に追いやられたため、2006年のマシン「TF106」にガスコインはほとんど携わっておらず、空力処理の失敗を招くこととなった。また、タイヤをミシュランからブリヂストンにスイッチしたが、タイヤの性能をうまく発揮させることも出来ず、「TF106」に競争力がないことはシーズン序盤の時点で既に明らかで状況であり、2006年は苦戦を強いられる事となった。4月にテクニカルディレクターのマイク・ガスコインを解雇しての体制の刷新や、モナコグランプリ|モナコGPに改良型「TF106B」を投入をしたが状況を覆すことができず、コンストラクターズランキングも6位と前年に比べると期待外れの結果となった。
2007年
のTF107。ドライバーはトゥルーリ
レギュラードライバーは昨年と同様ラルフとトゥルーリだったが、テストドライバーのゾンタとパニスがチームを離れ、新たにフランク・モンタニーがテストドライバー兼リザーブドライバーとして加わった。また、2007年からはウィリアムズF1|ウィリアムズにエンジン供給をする事となり、技術提携などを図ることとなった。マレーシアグランプリ|マレーシアGPには、ルノーF1|ルノーと同様にスーパーアグリのカスタマーカー問題で異議を表明した。このシーズンはエンジン供給しているウィリアムズにコンストラクターランキングで常に下回るなど目立った活躍はできず、平凡な年となってしまった。3年間在籍していたラルフ・シューマッハの契約更新は行われず2007年限りで離脱、また、この年加入したモンタニーも11月にスペインのバルセロナで行われたテストにてトヨタでの仕事を終えた。コンストラクターズランキングは6位。
2008年
2008年は昨年より引き続きのヤルノ・トゥルーリとティモ・グロックがラルフ・シューマッハにかわってドライバーとなる。サードドライバーにはトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム | トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム(TDP)のドライバーである小林可夢偉を起用。また、引き続きウィリアムズにエンジンを供給する。
戦績
その他
トヨタのF1チーム設立準備から2007年まで、トヨタF1プロジェクトを率いてきた冨田務は、2007年から富士スピードウェイで日本グランプリ (4輪)|日本GPが開催されることになったことに合わせ、TMG会長・チーム代表職を離れ富士スピードウェイの会長に就任している。
2002年のF1参戦から、サロ、マクニッシュ、パニス、ダマッタ、ゾンタ、トゥルーリ、ラルフ・シューマッハ、モンタニー(単発テスト参加ドライバーを除く)の8名がドライブやテストをこのチームでしているが、ダマッタを除く実に7名のドライバー(サロ:94年ロータス無限、マクニッシュ:90-92年マクラーレンホンダ(テストドライバー)、パニス:95-97年リジェ(プロスト)無限/01-02年BARホンダ、ゾンタ:00年BARホンダ/01年ジョーダンホンダ、トゥルーリ:97年プロスト無限/00-01年ジョーダンホンダ、ラルフ:98年ジョーダン無限、モンタニー:06年スーパーアグリホンダ)がホンダや無限ホンダエンジンのマシンを過去にドライブしている。
参戦も6年目を超え、開発資金等は全チームの中でもフェラーリ、マクラーレン、ホンダと並びかなりの高額(参照 )だが、まだ未勝利。これには、ワークス6チームのうち長い歴史があるフェラーリとマクラーレンを除くと、トヨタF1だけが完全に自社で一から作ったチームだという理由が考えられる(そこからの資金力では補いきれない経験、ノウハウ、絶対的な能力の不足)。他のワークス3チームは、BMWザウバー(旧ザウバーを05年末買収、06年からワークス参戦)、ルノーF1(旧ベネトンをルノーが00年に買収、02年からワークス参戦)、ホンダF1(ホンダが第3期F1活動を始めた00年B・A・R|B・A・Rホンダ時代から徐々に出資比率を上げ、06年からワークス参戦)となっている。スポンサー
1Fに展示(2007年現在)
松下電器産業|パナソニック - メインスポンサーで総合家電企業
デンソー - 自動車部品の日本最大手。トヨタグループ
BMCソフトウェア - ソフトウェア開発
ブリヂストン - タイヤを提供
ダッソーシステムズ - ソフトウェア開発
エボンダックス - ソフトウェア開発
EMC - ソフトウェア開発
エクソンモービル - エッソブランドで潤滑油、燃料を提供
インテル - ハードウェア開発
KDDI - 総合通信事業
マニエッティ・マレリ - 自動車電子部品の提供
タイム・インク - アメリカの出版社
アルパインスターズ - レーシングスーツ等の提供
フューチャースポーツ - ドイツのフィットネス企業
京都機械工具|京都機械工具(KTC) - 工具の提供
マン (企業)|MAN - トランスポーターの提供
ユーロウィンド - チームに天気予報を提供
ノーチラス - フィットネス用品を提供
タカタ (企業)|タカタ - シートベルトを提供
ウルト脚注
関連項目 *モータースポーツ
F1コンストラクターの一覧
トヨタ自動車
トヨタ・チーム・ヨーロッパ外部リンク
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